スウェーデンのgender equality (2)
今回はスウェーデンの男女平等第2弾です。
前回は、私が今までのスウェーデン生活の中で実際にどんなところで男女平等を意識させれたかを書きました。
私が感じた範囲ですが、スウェーデンでは(少なくとも社会的には)なんだか「男女」という区別の存在が薄れていて、
一人ひとりを「(性別というベールから剥がされた)個人」と見る方が当たり前になっているような気がします。
その社会が絶対善なのか否か、その社会を目指すかどうかはまた別の次元のハナシなのでここでは置いておくとして…
今回はそんなスウェーデンも、スウェーデンが生まれた瞬間から男女平等だったわけではないということを書こうと思います。
取り扱うトピックの性質上、私なりのスウェーデン観察ではなくて事実を綴るというかなり単調な記事になってしまいます
が、!超単純にまとめるので興味がある方は読んでみて下さい。
では早速。
スウェーデンで男女平等が促進されていったバックグラウンドは何なのか?!
過去に遡ります。
スウェーデンが今の高福祉国家を作っていったのは1930-50年代頃ですが、それにあたって何よりも重視していたのはそう、
UNIVERSALITY!! ユニバーサリティ!!
ゆにばーさりてぃ〜!!
日本語だとなんだ?
普遍性?(なんか変なので訳さないです)
所得が低い人だけではなく、
生まれつき障害をもつ人だけでもなく、
所得の高い人も
海外からやってきた人も
誰でも彼でも
労働さえしてくれれば
みんな福祉国家の一員として「平等に」みなしますよん!!
というのが国家のイデオロギーでした。
ということは?
もちろん性別にもこれは当てはまり、その差を超えて「普遍的」「平等」でなければいけない。
だから、女性だから〜男性だから〜
というのはシステム上は通用しないわけです。
こうしてスウェーデンの福祉国家の性質という大前提を見てみると、ここにはどうやら
男性と女性の間の平等性がもたらされていった理由が潜んでいそうなことがわかります。
だって、「女性」のみが社会に進出しづらいシステムは、そもそも国が言ってる普遍性(みんなが一緒)と平等性と矛盾してしまうから。
60年代、70年代に女性政治家たちによる政治の世界における平等促進活動が段々と小規模ながらも動き出しました。
でも、この最初の歯車をググッと動かすことができたのも、政府がこのような活動や対してNoと言えないという環境があったからではないでしょうか。
しかし一方で、
普遍性・平等を重視するといったイデオロギー的な理由だけでひとりでに男女平等がスルスルと促進されていったわけでもありません。
というのもスウェーデンでは、女性の社会進出は労働力確保の手段として促進されたことでもあるからです。
60年代のスウェーデンは戦後の高度成長期にあり、(戦争はしていないけど外部需要がすごかった!) 深刻な労働力不足になりました。
じゃあどうするか?
一般的に、解決する手段としてはこんなもの
・男性にもっともっと働いてもらう(←日本)
・外からの移民を受け入れる
・女性の労働力を活用する
が挙げられるようですが、
スウェーデンはイデオロギー的な男女間の平等促進とうまく結びついて、3つ目をメインとして選択したようです。
女性が働きやすいシステム
(厳密には、性別によってキャリア選択に影響が出ないようなシステム)
を作って女性にもっと労働市場に進出してもおう!
ということになったというわけです。
これをきっかけに様々な家族政策や労働政策が男性と女性を区別しないという発想のもとでデザインされていったのですが、
これも後に今の男女平等な社会が作られることとなった要因でしょう。
と、
1. スウェーデンの福祉国家の考え方
2. 労働力不足
という2つの大きな理由を挙げてみました。
今回は細かな政策などには敢えて触れず、スウェーデン男女平等促進を説明する大きな背景を整理してみました。
恐らくですが、どっちが欠けていても男女平等促進はうまくいっていなかったのではないでしょうか。
労働力不足に女性を取り入れようという発想になったのも元々の国の「平等」という大前提があってこそ
反対に、
政治の世界の内部にも平等という観点がより強く保たれることになったのも、女性の経済界での地位の向上が政界での地位の向上に繋がったことが影響している
と思うのです。
というわけで、スウェーデンではこうした行ったり来たりの正のスパイラルのもとで、「社会ぐるみ」でぐるんぐるんと男女平等に向けた政策形成やら活動が進んでいったんじゃないでしょうか。
と、テーマに沿った本題はここまでです。
ここからは本題からは逸れますが、
この、「社会ぐるみ」でぐるんぐるん
という言葉について最後にちょっとだけ触れさせて下さい。
それは、これがスウェーデンの政治(とか社会)を説明する上のキーワードじゃないかと思っているからです。
(言葉自体の幼稚さについてはつっこまないでぇ〜!今思いついた表現だから。)
改革をしたり何かを進めていくうえでは誰かが違う意見を提案してくるのは当然だと思うのですが、
いまいちスウェーデンの政治はその反対アクターの勢いが比較的に弱い気がします。
…もっと正確に言うと、
反対アクターの勢いが弱いのではくて、彼らが反対するに至る前にそれぞれのグループの意見を取り入れている。
そしえ気がついたらいつの間にか「全体的な」コンセンサスを取っている!
というのに近いです。
なので、これは私の感じた限りですが、どこかスウェーデンには一つの価値観を常に共有している感があります。
その共通の価値観に向けて全体がぐるぐると動いているのです。
(こう言うと国全体で思想が一つ!という方向に語弊を生みそうですが、そういう強い意味ではない)
政治界、市民をひっくるめて全体的に良い意味で一体感があります。
組織力と言ったら良いのでしょうか…?
そして、これはスウェーデンの福祉国家のシステムからくる組織力なのか、
はたまた福祉国家が出来上がる前から持っていた歴史や文化に影響されているのか…?
未だにはっきり見つけ出せていません。
ですが、今の福祉国家をデザインする時点で、それをどうデザインするかスウェーデンはコンセンサスをとっていたそうなので、察するに後者は間違いなくありそうですね。
となると、それは何なんだぁあ?!?
ということになるのですが、
これはもうきっと普段の生活や人々のコミュニケーションというレベルにヒントが潜んでいるんだと思います。
きっとこれだ!というものは見つからないと思いますが、
だからこそこれからもじっくり周りをキョロキョロしていこうと思っています。
0コメント