気候とモチベーション


前回の記事(「日照時間と生活リズム」)では、
いかにスウェーデンの日照時間の変化が激しいかについてとことん書き綴りました。

そんな国で一年を過ごしてみて最近思ったことは

日本って物事に打ち込む環境にかなり恵まれていやしないか?!

ということです。

(↑のほほ〜んとした春)


スウェーデンは

冬の18時間真っ暗、夏の18時間ピカピカという条件そのものにまず、集中力が散漫になる要素が溢れかえっています。
(経験者は語る)

そして半年間でその変化が起きるという激しさが、さりげなく1年を通じて注意を散漫にしてきます。

変化が激しいとやはりどこか気持ち的にも落ち着かないし、決まった生活パターンというものを維持するのが難しいからでしょう、、。

周りのみんな、つまり社会全体的に行動時間や行動パターンが季節ごとに移り変わっていくので、例え自分が1年中同じ時間帯に同じことをしようとしてもそれは無理があるのが現実。




そう思うと、

日本って夏も冬もそんなに日の長さが違うわけでもないし、

季節の変化もゆったりしている。

極端な気温にも達しない。


ということは、1年を通じてコンスタントな生活リズムを維持しやすいということ。

ひいては勉強、仕事、などのルーティーンを気候に左右されることなく守ることができるということ。


激しい気候をもつスウェーデンのみを比較対象にしてこう語るのは短絡的かもしれません。


でも、こんなふうに相対的な位置付けをしようとせずとも、

日本って極端に激しい天気や日照がなく、まあ快適な気候なのはそこそこ自明なのではないかと思い始めたのです。


なので、したがって勉強においても仕事においても、気候によって散漫にさせられることなく、1年かけてコンスタントに少しずつ何かを積み上げていくのに適した環境に日本は恵まれているということも意味します。


東京だと通勤通学時間が長いとか混雑が酷いとか、そういったまた別のディストラクティング要因が出てくるのは確かですが、


気候というところに注目したら、意外とそこは他のいくつかの国よりアドバンテージになっているわけです。



しかし、それにも関わらずスウェーデンの方が働く効率が良かったりするのは、

厳しい自然環境という(働く環境という視点においては)ディスアドバンテージを自覚しているからこそ、どこかに焦りを抱えている為かもしれません。


冬になると鬱っぽくなってしまうのを知っているから今のうちに働くとか、

逆に、とても働くモードになれない日の長い夏が来る前に働くとか

言葉のレベルで意識はしていなくとも、
気候が人々の心理に潜在的に不安や焦りを与え、(長い冬の前に食料を確保しておくように)各々がどこかで勉強や仕事の効率性に緩急つけて工夫している可能性は大いにあります。

(と偉そうに語っているけど、住んでみて自分が感じたことから推測してみているだけです。まあそれは良しとして、)


逆に言えば、


日本に住んでいると無自覚になりがちな日本の穏やかな気候ですが、もしかしたら日本人はこの穏やかさに甘えている部分があるんじゃないかとも言えるわけです。


1年を通じて働けてしまう環境があるからこそ、皮肉なことに時間の確保ということに対する危機感を感じない。

(少なくとも私はそうだったような気がする)

逆に言えば、日本の実は過保護な気候や自然条件に対してもっと自覚的になったら、各々の行動に対するモチベーションや意識も(僅かかもしれないけれど)変化して面白いんじゃないかと思うのです。


帰国後は、1年を通じて物事に集中できることをありがたく思いつつ是非それに甘えずに活用するように意識してみたいものです。














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