暗い夜の過ごし方
本日、10月24日。
日本ではまだ秋の盛りには至らないくらいの時期だけれど、こちらスウェーデンは既に冬支度を始めなくてはいけない時期。
といっても日本人の感覚からしたら体感は十分冬なのだけど…。
(ちなみに今日のの最高気温は6度。最近朝晩は冷え込んで氷点下になることも。)
というように既にとても気温が低くなり着実に冬に向かっているスウェーデン。
でも実は、同じようにすごい勢いで加速していると感じるのは寒さだけではない。
それは、暗さ。
スウェーデンは高緯度に位置しているので、例えばストックホルムの夏至の日照時間は18時間37分ととても長いのに対し冬至の日照時間はたったの6時間5分。
(北部の北極圏においてなんかは当然だけど完全な白夜と極夜を経験する。)
そして、実際に体感としても日が短くなっていく感じがはっきりわかる。
例えばこちらウプサラでは、今月初め頃は日の出が7時前だったのにここ数日は8時頃にならないと明るくならない。(ちなみにそれに伴って早く起きるのもどんどん苦痛に…笑)
ではどうやってその来たるべき「寒くて暗い」冬を乗り切るのか。
というかそもそも乗り切れないんじゃ?(日本から来た私なんか特に)とも思うけれど、意外とそうではないということに気が付き始めた。
というのも、寒さと暗さの勢いが増すにつれて人々の部屋の内装へのこだわりや意気込みも増してくるということに気がついたから。
ここ最近街中のありとあらゆるお店が一斉にインテリアを明るくする飾りを争うように売り始め、そして本当に、人々はその市場にどっぶり巻き込まれるようにそれらを買い始めた。
インテリアショップのみならず食料品のスーパー、生地屋さんとお店の種類問わず素敵な商品を並べている。例えば電球、キャンドル、そしてそのキャンドルを固定するキャンドルホルダー、マッチ、チャッカマン…それらに付随する飾りなど、とにかくいろいろ。
電球、キャンドル、キャンドルホルダーはあまりにもその形態が多様化していて、見たこともないような種類のそれらに圧倒されて一体どれを選んだら良いのかわからなくなるくらい。
でもそれだけ、こちらの人にいかに暗い冬を暖かく過ごそうかという意気込みがあるということなんだろうなと思った。
そして、そのそれぞれの意気込みが世の中を「冬支度」ムードに巻き上げてそれ自体が街に暖かさをもたらしている。
ではそれをどうやって部屋の中で活用しているのか。これもまた面白い。
というのも、基本的に部屋にもともとついている電気はあまりピカピカにせず、薄暗い中でキャンドルや電球をいくつかつけて過ごす傾向がある。
食事の時はことさら、暗がりの中で小さな灯りを囲んで会話を楽しむというのが好まれている気がする。
そんな様子を見ていると、暗い分灯りを大切にしているんだろうなと思わされる。
その「大切にしている」ところに見える心の機微は、日本で言えば昔から食(食べるという行為そのものかもしれないし食材かもしれないけれど、何れにしても。)を大切に扱うところに見える心の機微に当たるような気がする。
暗いからといって暗さを嫌ったり征服しようとするのではなく、それ自体を受け入れいかに自分たち自身を暗さの中になじませていくか。
それくらい深い精神がこちらの人々のどこかに流れているような気がする。
なるほど、インテリアデザインが発達したのもよくわかる。っていう感じ。
というのが今のところで私が感じた範囲内でのスウェーデンの暗い夜の過ごし方というわけです。
…そして実は最近は私も、こちらの人々が言わずとも発するそういった精神性や暗さに抗わずに暗さを受け入れた上で灯りの大切さを感じながら過ごすようにし始めてみた。
どういうことかと言うと、夜、課題ややるべきことが一通り終わった後ははなるべく部屋のメインの電気を消してできるだけキャンドルや電球の灯りだけで過ごすようにし始めた。
最初はもちろん、24時間明るい東京の生活にどっぷり浸かって甘やかされていた私にできるものかと思った。
でもなんと、慣れてくるとむしろ暗がりの方が気持ちが良いじゃないか。
多分灯りの「もと」がいくつかの特定の点に限られるので気持ちがあれやこれやと四散しないからだと思う。
と、ある土地で取り入れられている習慣にはちゃんとそれなりの理屈があるもんなんだな、と実際に良さを実感して納得しているこの頃。
0コメント