ヴィンテージ天国スウェーデン


前回、スウェーデンの人々は効率を求める側面と、敢えて非効率的なものを選択して精神的な豊かさを優先する側面があることについて書きました。

では今回は何について書くのかというと、その中の「情緒や精神的豊かさを重視する」というところからスウェーデンのヴィンテージショップ事情に話しを派生させてみようと思います。


いきなりですが、こちらではヴィンテージの物を好む人が多い。

勿論なんでもかんでもヴィンテージということではなく比較的にという話しですが、ヴィンテージというものがもう少し多くの人の生活に普通に馴染んでいる気がするのです。


冒頭で精神的豊かさと書きましたが、こちらの人々と付き合っていると、彼らは物の実用性よりも「その物から生み出される雰囲気」といった目に見えないものをとても大事にしているな、と感じることがしばしばあります。

特に食器やインテリア・洋服など、日常にさりげなく必要とされるものたちに関して。

使い勝手が良いとは限らないけれどこか温もりがあるようなヴィンテージの品々は、それに丁度良く寄りそうものなのかも知れません。


実際に(あまりそのようなイメージ強くないと思うのですが、)それを証明するかのようにスウェーデンにはヴィンテージショップが沢山。

しかし!!

ヴィンテージショップといっても、日本のそれとはちょっとニュアンスが違うんです。
実はこれが今日の話しのみそです。


というわけでやっと本題。


ファッションにしても雑貨にしても家具にしても食器にしても、日本で「ヴィンテージ」というと、それらを好む一部の人が、特定の(そして大抵小規模だったり個人経営のセレクトショップだったり)お店やマーケットに足を運んで買う物、という少し特別感のある印象があるじゃないですか。

でもこちらの場合はヴィンテージ品を持っていたり着ていたりすることは必ずしもおしゃれや個性を象徴するものでなく、「物の再利用」という意味も含めて多くの人が普通に行う一般的なこととして捉えられている(気がする)んです。
(あくまでも日本と比較して、の話し!笑)

なんていうんだろう、おしゃれとしてのヴィンテージショップともつかず、経済性を求めたリサイクルショップともつかず…
その間を行くような感覚です。


例えば、有名なセカンドハンドショップとして「Myrorna」というお店があります。

全国の様々な都市に展開しており、首都のストックホルム市内となるとそこら中にあるといったようないわゆる巨大なチェーン店。


ここでは、「一般の人々に寄付された」洋服、アクセサリー、靴、食器、本、家具、雑貨、レコード…もう何から何までが安価で売られています。

一般の寄付によって成り立っているにも関わらず、というかむしろそのお陰でか、所狭しと並ぶ品々を隅から隅までじっくりと見ていると、有名ブランドの洋服が紛れていたり、普通は手に入りにくい年代物の陶器が一式揃っていたり、限定のレコードが見つかったり。


使用済みの品のために安価で売りますよ、といった単なる「リサイクルショップ」という雰囲気ではありません。

それを超えた嬉しい出会いの可能性に満ち溢れる空間なのです。

それでいて、セレクトショップではなく全国展開のチェーン店。老若男女、多くの人が気軽に利用するお店です。


このように、「ヴィンテージ品を持つ」ということニュアンスは日本と少し違って、ファッション的な要素を保ちながらも経済性の面から多くの人が行うという印象が比較的に強いものなのです。


他にも人気な大手のセカンドハンドショップとして、STOCKHOLM STADSMISSIONというお店もあります。


HPの雰囲気からも、セレクトショップ的なファッション性のある雰囲気ともつかない、リサイクルショップ的な画一感のある雰囲気ともつかない、どっちつかずな新しい感覚が味わえると思うので、上で紹介した2社のリンクをここに貼っておきます。
ぜひ覗いてみて下さい。




と、このようにスウェーデンのヴィンテージ事情を見ていると、段々とあることに気がついてきます。

私はこの文章において「(効率よりも)情緒や精神的豊かさを重視する」ことの例としてヴィンテージをあげてきました。


しかし、このようにスウェーデンのヴィンテージ事情を見ていくと、このヴィンテージが循環するシステムは経済的な視点からしても環境面においても、非常に「効率」的だと思いませんか?!

(勿論物の再利用が進むことで損するビジネス領域からすればそうは言い難いかもしれませんが、スウェーデンが環境先進国だということを前提とするとこのように言っても良いと思います。)


ヴィンテージ品を大切にする傾向があることで、ある物がそれを必要としない人の元からそれを必要とする人の元へとうまく循環するシステムが成り立つ。

「時間を超えたシェアリングエコノミー」が成立しているようなもので、物の循環という視点からすると非常に効率的ではないかと思います。
そしてそれは結果的に環境や個人の経済にもメリットを与える。


というように、非効率的なものとして入っていったテーマなのに実は違う形でその反対である効率性というテーマでもあった!?
そんなことに気がついてくるのです。

なんだか複雑で頭が混乱してしまいそうですが、良く考えてみるとこういうことでしょうか。

ヴィンテージという情緒的なものを大事にするという「個人レベル」の傾向がうまくシステムの中で生かされて、結果的に物の循環という「全体的なレベル」においては効率性が生まれる。


…私は今回敢えて「非効率的なものを選ぶこと」からヴィンテージを大事にする傾向があることにに話しを派生させたのですが、実は異なるレベル(もっとマクロなレベル)では効率性を追求する部分でもあったというわけです。


メインテーマにスウェーデンのヴィンテージショップ事情の紹介をすることを置きつつも、それを通じて、前回の話題を応用し「情緒性」と「効率性」の使い分け、どころかそれらがミックスされている事例もあることを説明することが今回の目的でもあったのです。実は、、、!


結局何がメインテーマで何がサブテーマなのかが伝わりにくいような文章になってしまいましたが、単純にスウェーデンのヴィンテージショップ事情に関する知識に対してでも、その裏の私なりの分析に対してでも、どちらでも関心のある方にへぇっと思って頂けたら幸いです。





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