無料教育の意外な落とし穴
前のブログで、教育は原則すべて無料だということを書きました。
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学。
これに加えて、社会に出てから何か気軽にもう一度学んでみたいという時によく活用されるfolkehogskoleも無料です。
また無料であるが故に、特に大学では「プログラム」と呼ばれる各科目を簡単に移動することができるようなのです。
例えば、私の友達には1年生の時は歴史のプログラムに入っていたけれど、やっぱり政治の方が興味があるから2年生からは政治のプログラムに移った男の子の友達がいます。
プログラムどころではなく、加えて大学間の移動すらも可能らしいのです。
物理をウプサラ大学で勉強していたある女の子の友達がいるのですが、気がついたらその子はあるときから突然ヨーテボリ大学に移っていました。これまた面白く、「物理を勉強していたけれどもだんだんと法学に興味を持ったのでプログラムも大学も移した」とのこと。
無料ということはプログラムや大学ごとの学費に差がでないので、生徒がプログラムや大学を横移動することは大学としては問題ないのかもしれませんね。
このように、スウェーデンの教育は
・無料。
・それ故に大学ではプログラム(学部や科目)の移動が簡単。
↑study in Sweden のサイトからお借りしました
これだけ聞くと、教育はお金がかかるものだというのが当然である私たちからすると夢のような世界に聞こえます。
確かに夢のような世界。
家庭の所得に影響されないで学校を選ぶことができるわけだし、お金に縛られずにやりたいことを自由に勉強できるから。
それに、学び直したいと思うすべての人にとっても優しい。
大きくみても、複数の視点を持った人材を生みやすくなるという意味で良いのではないでしょうか。
また、本当はやりたくない科目だけどお金を払ってしまったからやる(特に医学分野ではこれはマズイ…?)ということに陥れるリスクも減りそうです。
しかし、しかし…
一方で、いろんな話しを聞いていると、必ずしも良いことばかりではないということもわかってきました。
特に社会の視点から見て。
外から見るとメリットに気をとられて見落としてしまうのですが、理想にも実は問題点があるのかと知るのって重要です。
なので、今日は実際に聞いてきたマイナスの側面を敢えて書いてみたいと思います。
そう、一番大きいのは、無料だからとりあえず(興味があるわけではないけれど)どこかに通ってみる。けれど、やはりモチベーションが上がらないというケースが多いこと。
知り合いが通うストックホルム大学のとある学科では、大学が始まってから僅か一ヶ月で人数が半減し、最後まで残ったのはなんと数人…ということが起きたそうなのです。
そこで、なんでこんなことが起きたと思うかを聞いてみたら、「趣味感覚でアプライしたものの、実際に入ってみたら予想以上にペースが速くて断念した人が多いような印象」だったと言っていました。
また、同じ寮に看護を勉強するスウェーデン人がいます。
彼女になぜ看護に興味があるのかということを聞いてみたら、「興味があったわけではなかった。けれどその当時働くという気分でもなかった。だからなんとなくスムーズに仕事を得られそうなこのコースにアプライしてみた。でも、思ったより大変でやめたいとも思うことも多いけれど、もう2年もやっちゃったし、今更やめるのもなあ…」
とあまり楽しくなさそうに話していたのが印象的でした。
実際にこのように、無料が故に何を学ぶか真剣に選ぶモチベーションも真剣に勉強するモチベーションも下がってしまう可能性が大きくなる。
プログラムの移動が容易であることもこの場合だとネガティブに働き、とりあえず転々とプログラムをホップするというケースも多いようです。
確かにそんなことも起こり得るな…と、言われてみれば納得します。
ちなみにこれらは全て実際にスウェーデン人本人たちから聞いた話しです。
なので彼ら自身もこれを問題として認識しているんですね。
もちろん、あるケースにスポットを当てた訳でありみんながみんなやる気がないと言っているのではないです。
むしろかなりの熱量を持って勉強したり何かに打ち込んでいるスウェーデン人は大勢います。
でもこのように、一見先進的に見えるシステムにも意外な負の側面が潜んでいたりすることを現実として把握するのは、何かを歪みなく見るのには重要かもしれない、と思うのです。
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