世界中で異なる顔を持つ太陽


スウェーデンにも春が来ました。

と言ってもどこからどこまでを春と定義できるのかわからないので正式に春が来たのかは判断しかねますが、少なくとも私は勝手に春を「感じ」ました。

なんていうか、太陽の日差しが違った。



「馴染みのある」太陽の日差しを感じたのです。
肌に当たった時に、肌の表面がそれをしっかりと受け止めてポカッとする感じ。



そう思うと、これまでの数ヶ月間私は今までとは違った太陽を経験していたんだということに気付かされます。

冬の真っ只中、つまりその渦中にいた当時の私は気が付かなかったのですが、太陽ってどこでも一様であるようで実はいろんな顔を持っているんです。

この冬はそんな太陽の新たな一面を体験していたのですが、春の太陽に切り替わって初めてそうであったことに気がつきました。

夜の暗さとその長さを説明するのが難しかったのは私自身がこの(意外だけれども)重要なところに気がついていなかったからかもしれません。


色んな顔を持っているというのはどういうことかというと、同じ太陽でも場所によって与えられる印象が全く違うということ。


ということで。
ここで私がスウェーデンの冬で経験していた太陽について触れることで、これについて説明してみようと思います。



冬の間のスウェーデンの太陽。
なんていうか、チョーーー存在が薄い。
もはやそんな無理をして出てこなくてもいいんじゃないか?ってくらい。(出てきて欲しくないと言ってるわけじゃない。笑)

日照時間が短いと言っても単純に短いのではない。(まあ理論的には単純に短いだけなんですが。)

例えば、日本の冬の太陽を想像して、それが短縮された時間のなかで出ていると仮定したらそれは全く違う。


ではどういうものなのか?
ちょっと私なりに表現してみます。


やっと日が出たと思っても、地平線をスルスルスル〜。。。っと申し訳なさそうに通るので、建物があったりすると昼間なのにそもそも太陽が見えない。

しかも冬は大抵天気が良くないので、敢えて擬態語も交えて説明すると日本のような「黄色く」「カラッとした」太陽ではなく「白っぽい」「モワッ」とした感じになります。

(せっかく擬態語にしたのに)言葉に戻すと、「モワッ」というのは遠くまで届ききっていない弱々しい感じ。
声がくぐもる(とかこもるとか)っていうじゃないですか。
その光バージョンです。


なので、光源のはっきりした一筋の光線をはっきりと感じることは少なく、白っぽい弱い空気(光源がわかりづらいので光というよりは最早空気と言いたい)のようなものが大気をモワモワと漂っているような印象を受けることになります。

たまに、空間の雰囲気を作るためにそういう特別な白っぽい照明になっている美術館とか博物館の一室あるじゃないですか。
極端にいえばそんな感じ。
(ちなみに雪が積もっているので床に当たる部分も白く、本当にどこもかしこも白い。モノクロームな世界。)




なので、ランチだ!お昼だああ!とパ〜っとお昼ご飯を食べたくても、(さっきぼんやり明るくなり始めたと思ったのに、)日本でいう夕方の太陽の角度が作る影を作りながら一日がそろそろ終わるようなマインドセットでしっぽりと食べることになります。笑

いつ沈んだのかもよくわからないことが多かったのですが、一番日照時間の短い時には2時半に日没でした。


なので日本のように、
朝の太陽、昼の太陽、夕方の太陽
の区別が最早つかず、

日の出→ボヤッ→日の入り!!

という日中の表情がシンプルさを極めていた太陽と暫くお付き合いしていました。


というように冬に私が体験していた太陽はいつも建物や木の裏にいるようんでなんだか元気のないものであり、故に肌が重みのあるまとまった光を暫く受ける機会が減っていたように思います。

朝起きて光を感じ、昼には空に見上げ、夕方に遠くから温かみを感じるというプロセスが短時間に凝縮されること、
ではないのです。
その間の太陽が、なんていうか根本的に異質。


というように、試行錯誤しながら私がスウェーデンで体験した太陽を敢えて文章で表現してみました。


が!
スウェーデンの冬の太陽の弱さを強調したかったのではありません。

私がやりたかったことは、その「違いの質」をどうにか重みをつけて表現することです。



ということで冒頭に戻りますが、

今朝授業に行く時にスカッと晴れた青い空高くに上がった黄色い太陽の輪郭をはっきりと見たとき、そして肌が重みのある温かい刺激を受け取ったとき、私はあ、なんか違う。春だ。ハッとしました。

同時に、今までに覚えのある感覚だと認知ました。
この春の日差しは日本で経験したことがある太陽に近かったのでしょう。

その時に、裏を返せばここ暫く経験していた太陽って私が日本で経験したことのない太陽の一つの顔だったということかもしれないな、と気がついたんです。

同じ太陽でも、世界の違うところにいるとガラッと印象が変わるんですね。
本当に、質そのものが違うっていうくらい。
想像を超えて様々に知らない顔を持っているんです。



そして人は、無意識にも大いにこういうものに(もちろん太陽だけではない様々なものに)影響を受けながらそれらをパーソナリティにひっくるめていく。なので、違う国や地域に住んでいる人はただ単純に私たちから遠いところに住んでいるという話しではなさそうです。
そう思うとますます世界は広いし、異なる地域の間の何かを比較するときはそんなことを頭の片隅に入れておけたら良いです。

(太陽の話しから最後の最後で抽象化をしてこんな結論です。が、それもそれで良いということにします。)

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