スウェーデンの社会とインテリア
以前の記事で私は、
初めてストックホルムを歩いたときに街に流れている雰囲気に言葉にならない何かを感じた、
ということを書きました。
そしてそれが何だったのか気になっていたことも。
そうなんです、私は初めてストックホルムの街を歩いたとき、社会が「妙に整っている感、妙にスムーズに物事が機能している感」を言葉にならないレベルで感じました。
その時はもちろん一体何なのかわからなかったのですが。
沢山のパパが昼間からベビーカーを引いているという平等な家族構成を反映する現象、
カード1つでどこでもなんでも買えるという徹底したキャッシュレス社会。。
なんだか妙に整っている…
私は3年前にストックホルムに旅行で訪れるまではシンプルなスカンディナヴィアデザインに惹かれ、北欧のインテリアや雑貨に興味を持っていました。
しかし、
あれ?
3年前に実際にスウェーデンに降り立ったとき、
インテリアや雑貨に感じるのと同じような感覚を、唐突に社会にも感じた。
スウェーデンのインテリアと、
スウェーデンの社会。
一見掛け離れているようですが、
それ以降、どうしてもそこに何か繋がりがあるような気がしてならなくなったんです。
確かにこの2つは全く違う分野だし、普通は同じ土俵で話すものではない。
だけれども、
インテリアは物理的に存在するので目で見ることができる一方、社会の方は現象でありパッと特徴を捉えるのが難しい
という差があるだけで、どちらもスウェーデン独特のメンタリティが反映されたものには変わりないのではと思えてならなかった。
後からやっとわかったことなのですが、というかだから今こうして書いているのですが、この憶測はどうやらあながち間違いでもなかったということです。
そう、スウェーデンにはインテリアにも社会にも「計算しつくされたシンプルさ」があるのです。
計算されたシンプルさというのは、
実用性、合理性を追求して設計された結果生まれた無駄の無さのことです。
インテリアのみならず、社会にも合理性が求められている(少なくとも過去にそういう歴史がある)ということを徐々に知ることとなって、やはりこのような実用性を重視した設計はインテリアだけではなかったんだと思ったんです。
(スウェーデンで社会がどうデザインされているのかについて詳しくはまた続きの記事で(話せたら)話します。)
どんなポリシーの元でデザインされていてもアートして捉えられるので問題にならないインテリアとは違い、社会となると実用性や合理性の重視が良いか悪いかを一概に語ることはできません。
しかし事実として、
実用性や合理性を追求するという性質が根底にあり、それが多かれ少なかれインテリアのデザインにも社会のデザイン(つまり政治)にも生かされてきたということが言えそう。
3年前ストックホルムを歩いていてビビビッと感じたのは、目に見えるインテリアデザインと目に見えない社会の設計というものの間にある繋がりだったのかもしれないな、
と過去を振り返っているわけです。
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